@article{oai:yasuda-u.repo.nii.ac.jp:00000523, author = {青木, 克仁 and Aoki, Katsuhito}, issue = {25}, journal = {安田女子大学大学院紀要, The journal of the Graduate School, Yasuda Women's University}, month = {Mar}, note = {アメリカの場合,革命を起こし,市民が統治権力に統治権力が介入し得ない領域を認めさせるという画期的な出来事が起きた。しかし革命後,自分たちは正統な権力を有していると主張するには,その正統性を証明する必要に迫られる。しかし,この証明は「Petitio principii」の詭弁に陥ってしまうことになる。なぜならば,自分達が「正統な代表である」と正統性を証明する前にあたかも正統性が既にあるかのように振る舞わねばならないからである。革命はまさに旧体制からの断絶を記すゆえ,旧体制において正統とされた権力から継承しているわけではないので,新体制の権力の正統性を新旧の断絶を前提にした上で証明しなければならないという難題を引き受けねばならないのである。その結果,正統化の理由付けは常に過剰なものとなってしまう。戦後,日本も旧体制から新体制に移行したのだが,旧体制からの離脱を,革命を経験したアメリカの主導の下で行った。それゆえ,この時も「過剰な理想」(山内)が登場するわけだが,歴史を主導し得るような「理想」が登場するのは,まさに,革命後や戦後日本の場合のように,新体制が己の正統性を主張し,過剰な理由付けを行う時なのである。本論考は,現行の憲法に積極的な意味を見出すための着眼点を提供することを目的としている。}, pages = {55--64}, title = {日本国憲法と憲法意思を巡る物語}, year = {2020}, yomi = {アオキ, カツヒト} }