@article{oai:yasuda-u.repo.nii.ac.jp:00000441, author = {青木, 順子 and Aoki, Junko}, issue = {47}, journal = {安田女子大学紀要, Journal of Yasuda Women's University}, month = {Feb}, note = {他者の苦痛の出来事を記憶できなければ、歴史の中で繰り返されている継続的な構造的暴力について正しく理解することも、過去の出来事と切り離せない現在の他者の苦痛の表象に拘ることも出来ない。同一化をさせ易い「物語」はそうした出来事を理解し記憶することに有効な手段として働く一方、そこには二つの大きな困難が存在する。一つは、同一化する力で記憶を保持していく努力を求めながら、物語が「苦痛」の出来事を内在しているほど、安易な同一化をさせない努力が必要となること、もう一つは、「記憶の共同体」が再現されて、閉鎖的な「我々の記憶」を保持し、「彼等の記憶」と区別することを要求することである。幸福な未来を築くためとして彼等の被った暴力的な出来事の記憶の忘却、すなわち「幸福な忘却」を、それが存在するかのごとく要求することは、不可能なことを要求することになり、真の和解の対極に存在する行為となる。私達は正義の保証を自ら属する共同体に依るしかなく、その共同体は、他の共同体との優劣をつけて戦争を行使するという不正義を行うのであり、共同体間の戦争は、特定の共同体に属する生を守るという目的を持って、嘆かれないような死を他の共同体に属する人々には与える。異なる共同体に向ける私達自身のまなざし自体が、嘆かれる死とそうでない死に区別する共同体の規範の枠組みに基づいた「格差をともなうまなざし」となっているのである。そうした枠組みに準拠して世界を受容している自らへの厳しいまなざしが私達には求められているのである。}, pages = {59--78}, title = {異文化コミュニケーション教育(異文化教育)の原点としての「我々」と「彼等」のコミュニケーション問題( 21)―他者の物語と記憶―}, year = {2019}, yomi = {アオキ, ジュンコ} }